12/07/16(Mon)
◆父の葬儀については、今回で終わります。
なにかご質問等あれば、答えられる範囲でお答えします。
前回までは、葬儀に至るまでの段取りの話でしたが、実際にお通夜、葬儀となると、喪主は多忙を極めます。参列してくださった人に挨拶し、式の最後に挨拶し、入退場では先頭に立ち、一方で全体の進行を見ながら、気になるところを葬儀業者に指示し……本当にあっという間に、ワケがわからぬままに過ぎていきます。
ですので、葬儀のセレモニー本体については、あまり語ることはありません。
今回は、誰もが気になる「お金」についてお話したいと思います。
【葬儀の費用について】
おそらく、葬儀にかかる費用については、多くの人が気になるところだと思います。
今回私が主催した父の葬儀では、トータルで480万円くらいの支出となりました。
すさまじい金額です。
もし、「今すぐ480万円を使え」と言われたら、私はきっとダッジ・チャージャーの中古車あたりを買うと思いますが、何かのセレモニーに消費するという選択肢は、多分ありません。
その480万円の内訳ですが、式本体が300万、返礼品が60万、飲食費が20万、火葬場代が20万、寺へのお布施が50万、その他車両代や雑費、心付け(チップ)で30万、といったところでしょうか。
一方、香典による収入は170万円くらいでした。(ちなみに香典は非課税です)
すごい金額ですよね。
葬式は結婚式と同じで、ありとあらゆるものが高いです。
返礼品が3千円、供花が1万5千円、2時間くらいしか立たない受付が1人2万円、10分くらいしか動かさない霊柩車が3万円、料理10人前が5万円……
しかも、結婚式と異なり、「ご祝儀」にあたる「お香典」は、ひとり3万円も期待できません。
せいぜい5千円から1万円といったところでしょうか。
私としては、勝手に結婚して、私よりも幸せになったヤツに3万を包むよりは、家族を亡くして力を落としている遺族にこそ3万円を包みたい、むしろ結婚したヤツがオレに金を配るべきだとさえ思うのですが、まあそうした恨み節は今回は脇においておきます。
恐るべき出費がかかる日本の葬儀ですが、こんなに金がかかるスタイルでの儀式は、どうでしょうか。
私は、急激に衰退していくと思います。
今回は、父の勤務先の偉い人とかが来るであろうから、多少見栄えがする様式で行わなければカッコウがつかないよね……という家族の意見もあり、また、父が稼いだ金は父のために使うべきだという考えもあったため、100万円から500万円の各コースのうち、中庸である300万円コースを選択しました。
100万円コースは祭壇が少々寂しい感じがしたのでパス。
一方の500万円コースは「社葬かよ」と突っ込みたくなるバカバカしいスケールの祭壇だったし、なにより高すぎるためパス。
で、中間をとって、300万円。
いかにも日本人的な意思決定ですね。
もちろん、100万円コースも祭壇が小さめなだけで、別に遺体の扱いが雑だとか、スタッフが失礼だとかいうことはないので、
「おばあちゃんは外にもあまり出なかったし、来るとしても近所の人くらいでしょう。」
という規模感の場合は十分だと思います。
しかし、それにしたって、100万円というのは大金です。
習慣や世間体に拘束されていた昔ならいざしらず、ろくに近所づきあいもしなくなり、ましてや経済状況の良くない今の世の中、
「うーん、そんなにするのか……」
と葬儀自体をためらう家族もあることでしょう。
実際、今回私が執り行ったような一般的な葬儀(「一般葬」というそうです)ではなく、もっと小規模な、身内だけの「家族葬」や、セレモニー自体を省略した「直葬」を選択する人も増えているそうですし、目ざとい業者はそうした「新しい葬儀スタイル」を前面に押し出して、なんとか時代の流れについていこうとしています。
こうした経済的な葬儀であれば、50万円前後で一応の形がつくようです。
親しい家族だけで故人を悼み、普段付き合いのない僧侶などはそもそも呼ばないというスタイルも、実に現代的といえます。
一方で、こうした経済的な葬儀は、やはり親戚や近所、勤務先との体面を考えると、採用しがたい場合もあります。
職場でそれなりに偉くなった人や、友人知人が多い人などは、あまりに小規模な葬儀だったり、身内だけの家族葬だったりすると、
「あの人は、家族から粗末にされて気の毒だ。」
「なぜ私を呼んでくれなかった!」
とかなんとか、こちらの懐事情も知らずに勝手なことをいう人もいるでしょうし、他人の悪口を言うのを生きがいにしている親戚の無用な介入を招くことにもなるでしょう。
ですので、色々とアホらしく思いつつも、現実的には、それなりに波風が立たないスタイルで行おうという選択肢も出てくることになります。
今回の私の父の葬儀は、そうした判断によるものです。
どちらの場合であっても、決定はすばやく行わなければなりません。
結婚式と違って葬式は、遺体の保存の観点から、タイムリミットが限られています。
実際は、その人が亡くなったその日のうちに、遺族の気持ちの整理もつかぬままに契約することになります。ですから喪主は、いち早く平静を取り戻し、葬儀全体が適当・妥当なスタイルになるよう差配する必要があります。
世の中には、
「遺族が悲しむのは、葬儀の後だ!」
などと言い放つ人もいるようです。
もはや葬儀は、いったい誰のためにやっているのかって話ですよね。
【お金の準備】
葬儀にかかる費用は、金額が大きいからでしょうか、現金払いが鉄則のようです。
ですので、葬儀に臨んでは、まずは現金を用意する必要があります。
今回私が執り行った父の葬儀では、
「300万円のコースか。まあ変動費込みで400万くらいあれば足りるかな?」
と思いつつも、念のために500万用意しようと思い、父が死去した翌日に銀行へと乗り込み、現金で500万円を引き出しました。
普段とは違う、目隠しされたコーナーで札束をうけとった帰り際、行員さんがみな、
「ありがとうございました、お気をつけて!」
「お気をつけて!」
などと挨拶するもんだから、かえって落ち着かず、家にたどり着くまでの間、ひったくりなどに合いはすまいかと、そわそわしましたよ。
結果的に、500万円弱が必要となったので、念のために多くおろしてよかったなあと思いましたが、葬儀にはこのように「思った以上の支出」があるものだと考えて、少し多めに準備しておくのがよろしいかと思います。
ところで、今回の葬儀費用は、上述のとおり、私個人の口座から引き出しましたが、これは私が家族のために立替払いをした、ということになっています。
葬儀費用は本来は遺族が連帯して負担するものであり、可能であれば、故人の残した財産から支出すべきものだと考えます。
(葬儀費用は相続税の計算時に控除対象となりますので。)
であれば、わざわざ私が立替払いをしなくても、亡父の口座から引き出して払えばよいのではないか……?という疑問が湧いてきます。
一般論から述べると、これはダメです。
亡父名義の預金は、相続の対象となる財産であり、勝手に引き出すことはできません。
父の死を知った銀行は、父名義の預金口座を凍結し、基本的には引き出しができなくなります。
ですので、私は自分の口座から現金を引き出し、当面の資金として手元にキープしたのでした。
ですが、これはあくまで一般論。
現実の対応としては、どうも違うようです。
まず、銀行が「父の死を知る」ということは、通常、ありえません。
少なくとも、役所から銀行に「この人が死にましたよ。口座を凍結してください。」などといった連絡が行くことはありません。
銀行が誰かの死を知るのは、基本的には、家族からの連絡があった時です。
家族から、
「父が死んだのですが、預金はどうなるんでしょうか。」
と聞かれたので、銀行は仕方なく(?)
「凍結です。手続きの書類を、当行の相続センターからお送りします。」
と答えるのです。
では、銀行に連絡をしなければどうなるのか……?
そうです。
普通に引き出すことができます。
ですので、「葬儀費用は父の遺産が頼りだ」という場合は、さっさと銀行に行って、ありったけの金を引き出してしまうというのも手です。
銀行としても、小口の客の相続手続きなんかに、あまり興味はありません。
さっさと相続人同士で話を付けて、銀行のあずかり知らぬところで勝手に引き出して、勝手に分配してもらった方が、ラクなのです。
ですので、顧客が死んだかどうかという情報を、積極的に集めたりはしないのです。
(もちろん、その顧客がローンを組んでいたり、大口のお得意さんだった場合は別です。)
ただし、注意すべき事項としては、故人の口座からお金を引き出す際には、「相続人全員の了承・承諾をとる」ということです。
もし他に相続人がいるのに、その人に無断で引き出しを行ったらどうでしょう。
その人が後で故人の預金通帳を見てみたら、なにやら勝手に数百万円単位で金が引き出されているような記録があるわけで、
「こいつらが相続財産の一部を隠匿して、少なく見せかけているのではないか?」
などと疑われかねません。
たとえ、
「バカを言うな、葬儀費用に使ったのだ。」
と説明しても、今度は
「そもそも、なぜ自分に連絡しなかったのか。」
「葬儀費用だというなら、こっそり引き出すのはおかしい。1円単位の領収書を全部出せ!お布施は領収書が出ないだと?そんなこと知るか!坊主にもらってこい!」
と、ややこしいことになるかもしれません。
場合によっては、裁判に発展するかもしれません。
感情に金がからみ、さらにそれが親戚だったりすると、変にこじれることがあります。
【相続について】
相続は死亡によって開始します(民法882条)が、被相続人の死亡と同時に何かが自動的に動き出すということはなく、放っておけば、何も起きません。
ただし、
「財産どころか借金だらけで、相続なんかしたくない。」
などの特殊な事情があって、相続放棄や限定承認をする場合は、「3ヶ月」という期限がありますので、要注意です。
相続といっても、その人の形見の品などは、うまいこと形見分けをすればいいのですが、なにか名義が登記・登録されているものは、それなりの手続きが必要になります。
代表的なものとしては、
・預金口座
・不動産
・自動車
といったところでしょうか。
預金口座は上述したとおり、銀行に知らせぬままウマいことやるということもできますが、もしちゃんとした手続きをするのであれば、銀行に「家族が死んだから、相続手続きの書類を送ってくれ!」と申し出ます。
銀行から送られてきた書類には、相続人全員の署名捺印と、誰にいくら分けるかを記入する欄があるので、そこを記入して、指定された添付書類(被相続人の戸籍謄本(後述)とか、相続人の印鑑証明とか)とともに返送すればOKです。
不動産については、全部の手続きを司法書士に委任することができますが、その代わり、手数料として15~20万円くらい取られます。
私の場合は、その代金がバカバカしいと思ったので、自分で登記申請書類を作成し、法務局で手続きをしました。
Googleなどで「不動産 相続登記」「法務局 相続」で検索すると、手続きに必要な書類の作り方が載っているページがたくさん出てきますので、それらを参考に試しに作成してみて、法務局の中にある「相談コーナー」に行くといいでしょう。書類の不備や、足りない書類について、教えてもらえます。
被相続人の戸籍や不動産登記簿の謄本を取るための実費と、相続対象不動産の固定資産税評価額に対して4%相当の印紙代は必要ですが、司法書士に委任するよりもずっと安上がりです。
ただし、法務局は平日にしか開庁していないので、平日に動ける人が家族にいない場合は、司法書士に委任するのもやむをえません。
自動車についても、不動産とほぼ同様の、名義変更手続きが必要ですが、こちらはディーラーに委任することができます。
おそらく手数料として、1万~2万円くらいかかると思うので、それがもったいないと思う場合は、自分で陸運局に行って、手続きをすればOKです。
これも必要書類はネットで調べることができます。
上記のいずれの場合も、被相続人の出生から死亡までの連続した戸籍が必要です。
被相続人が父親である場合は、父親が結婚する前は祖父の戸籍に入っていたのでしょうし、太平洋戦争や、関東大震災などのタイミングで引っ越すとともに戸籍も移していた場合は、そこの役所まで追いかけて戸籍を取り、なんとかして「出生」にたどり着かなければなりません。
(遠方の役所には実際に出向く必要はなく、郵送でも戸籍を取り寄せることができます。詳しくは役所に電話するといいでしょう。)
戸籍は、相続人を調査するために必要です。
被相続人が生まれてから死ぬまでに、相続人としての権利がある人物を確定するために、連続性のある戸籍を集める必要があります。
たとえば私が、
「いや、相続人は、母(=妻)と、僕たち兄妹(=子)だけですよ。」
と思っていても、戸籍をさかのぼっていくと、父の結婚前に、突然、見知らぬ謎の「子」が現れたりするかもしれません。
私の場合は幸い、そのような謎の「子」がいなかったため、相続人を容易に確定することができましたが、被相続人がヤンチャな人だったりすると、あちこちに落とし子がいたりして、
「え……?誰だよコレ。」
と、見知らぬ「子」を見つけた相続人が狼狽するってことも、あるわけです。
見方を変えれば、「生き別れ・腹違いの姉妹」という素敵なシチュエーションに遭遇する、最後のチャンスとも言えます。
相続の手続きは、戸籍を集めた時点で、半分は終わったも同然です。
不動産の相続手続きを司法書士に委任すると、結構な代金を取られてしまうのも、相続人調査に手間と時間がかかるためだと聞いたことがあります。
なにぶんにも面倒な手続きなので、時間がない人はお金で解決すればいいと思いますが、こうした手続きを自分でやってみると、色々と社会勉強ができるので、興味のある人は自分で相続手続きをしてみるのをオススメします。
【香典と香典返し】
葬儀は習慣に強く拘束されるものですが、香典と香典返しに関しては、思うところがあったので、一説ぶちます。
おそらく最近の風潮だと思うのですが、通夜または葬儀に参会し、香典を持参した人に対しては、「即日返礼品」という3千円くらいの品を、一律でお返しします。(結婚式でいう引出物のようなものです。)
このルールは、葬儀の契約をする過程で、
「次に、お礼の品ですけど、どれにしましょう。」
「香典に対して「半返し」が一般的ですので、3千円くらいが間違いないでしょうね。」
などといった流れで判断を迫られることになるので、我々としては、
「ああ、そうなんですか。じゃあ、そうしてください。」
と答えるほかなく、結果的に近年一般化したものだと推察します。
そうすると、立場が変わって自分が通夜や葬儀に参会する身になった場合、香典に3千円程度を包むだけでは、実は相手方にとって収支トントンであり、また、通夜でふるまわれる料理代を含めると、赤字。
ということは、最低でも5千円は包まないと、相手の家に迷惑をかけることになってしまうということが分かります。
無論、香典はあくまで「気持ち」であり、金額の多寡を論じるのは妥当ではないことではありますが、いい歳をしたオトナが葬儀に参列するのに、たとえば3千円しか包まないという選択肢は、実質的には「ありえない」という気がしてきます。
自分が香典を包む際は、最低でも5千円は包まなければ、相手に迷惑をかけてしまうなと思うようになりました。
また、よくあるパターンとして、職場の部署で全員が2千円ずつくらい出して「○○有志一同」と表書きしつつ、その中には支出した人のリストが入っているようなヤツ。
アレも、かなり迷惑な行為だということが、今回、喪主をすることで、骨身に染みて分かりました。
リストに名前が入っている以上、遺族は「個別に香典返しをしなければいけないのではないか」という社会的圧力を感じます。
しかし、2千円に対するお礼の品なんてものは、世の中にそうそうなく、送る側としても千円程度の安物を送って恥をかくよりは、少し高くてもいい物を……と考えます。
そこに送料や手間を加味すると、実はずいぶんな赤字になります。
ましてや、葬儀後の諸事多忙な中、こまごまとしたリストに従ってお礼の品を発送しなければならない遺族の精神的負担たるや、大変なものです。
「○○一同」名義の香典を出した人は、純粋な善意からの行為だと思いますし、まさか相手に迷惑をかけようと思ってしたことではないと思いますが、受け取る側にしてみれば、きわめて困った香典の出され方なのです。
香典を出したければ、個人でしかるべき金額を出すか、どうしても「一同」名で出したけいのであれば、
「返礼の儀は固く辞退いたします」
などと一筆添えるのが、相手の家に対する思いやりだといえます。
私が「一同」名で香典を出す立場になった場合は、そのようにするよう、言いだしっぺに助言したいと思います。
ところで、「香典返し」とはなんなのでしょうか。
私が調べたかぎり、昔(戦前くらいまで?)は、香典返しなどというものは存在しませんでした。
互助の精神が生きていたコミュニティでは、あげた香典はいずれ、自分の家の不幸の際に返ってくるものであり、即座に返礼をしなければならないものではなかったのです。
ところが、戦後になって、突如として「香典返し」という制度が登場します。
上述の「香典返しがなかった」ということの裏返しとして考えれば、
「都市化が進んで、人の流動化が激しくなると、長期的な相互返礼が期待できないため、もらった香典に対して、お礼をする必要が生じてきた。」
と考えられます。
この「仕組み」をねじこんできたのは、おそらく、昭和中期に全盛期を迎えた百貨店・ギフト業界です。
「お香典をもらったのに、お返しをしないのは非礼ですよね。」
「四十九日の法要が終わったら、そのご報告を兼ねて、お礼をしましょう。」
「いただいたお香典の半分くらいが目安です。」
とかなんとか言って。
なにしろ、もともと日本にはそんな制度はなかったのですから、なんとでも理屈は付けられます。
そもそも、参列者は「家族が死んでなにかと大変だろうから……」という理由で香典を出したのに、「その半額をお礼で返すのが礼儀ですよ」などといったルールを、百貨店・ギフト業界が創設するとか、もうワケがわかりません。
しかし、一方的に「義理を受ける」ことに対して居心地の悪さを覚える昔の日本人には、いかにももっともらしく聞こえるため、このルールは見事に定着しました。
結果として、遺族が受け取った香典の半額は、なぜか百貨店・ギフト業界の売り上げに回ることになったのです。既存の品を贈答用に包みなおすギフト品は、メーカーから大量に仕入れることができるということもあって利益率が非常に高いので、さぞかし儲かったに違いありません。
こんなものが、自然発生的に起きた習慣だと言われても、とても信じられるものでもないでしょう。
今のようにインターネットでセカンドオピニオンを得ることができず、大資本の垂れ流すマーケティング戦略に無防備だった昭和の日本人は、いいカモだったということです。
ところが、時代が下って、さらに様相が変化します。
今度は葬儀一式をプロデュースする葬儀屋が、この「香典返し」市場に目を付けます。
「四十九日の法要が過ぎてから、名簿を見ながらお返しを発送するのは大変です。」
「葬儀に来たその場で渡しちゃいましょう。」
「大体、3千円くらいの品であれば、香典が5千円から1万円の人に対しても、失礼じゃないですよ。」
かくして、今までは百貨店・ギフト業界が奪い合っていた「香典返し市場」を、葬儀業界がカッさらってしまうことになりました。
「どうせお礼をするのだったら、その場でしちゃった方がラクだ。」
という点も、顧客(=遺族)のニーズに適合したため、これまた定着し、現在の「即日返礼品」が生まれたのでした。
もちろん、葬儀会社が自社で返礼用のギフトなど用意できるはずもないので、実質は百貨店・ギフト業界から仕入れるわけですが、百貨店・ギフト業界にしてみれば、間に中間業者が入ることで、商売としての「旨み」が減るのは間違いなく、おそらく昨今の「即日返礼品」を取り巻く状況を、苦々しく思っているに違いありません。
しかし、百貨店・ギフト業界も負けてはいられません。
まだ、パイは残っています。
それは、即日返礼品ではお返ししきれていない(ということになっている)、高額の香典を持ってきた人に対するお返しです。
香典には相場はありませんが、結婚式の祝儀が一般に「3万円くらい」と言われているのに対比して、「5千円から1万円くらい」というのが、ひとつの目安になるようです。
ですが、特に親しかった人や、社会的地位の高い人は、もう少し高額の香典を持ってきたりします。
そうすると、3千円の即日返礼品では「返しきれていないですよね!」とねじ込む余地が生じてきます。
葬儀が終わった翌日になると、百貨店・ギフト業界から、大量のカタログが届きます。
また、セールスの電話もかかってきます。
おそらく、町内会の訃報や、式場の案内を毎日チェックしている担当がいるのだと思いますが、その抜け目のない業者の曰く、
「当デパートでは、一流の品をご用意できますので、大切な方へのお返しに最適と存じます。」
「当社は百貨店や葬儀店にも卸しているギフト専門商社ですので、直接ご契約いただくことで市価の3割引で……」
「1点からでも結構ですので……」
こうして、残された「半返し」のパイを奪い合うのです。
以上、偉そうに推測を交えて告発(?)してみましたが、実際に私が「悪習」とみなしている「香典返し」という仕組みになんらかの抵抗ができたのかというと、全くできていません。
遺族・喪主としては、別に香典の金を少しでも手元にキープしたいぞと思っているわけではなく、むしろ、
「香典返しに対して疑問すら抱いたことがない人から『あいつは非常識だ』などと言われることを避けたい。」
「無難に終わりたい。」
という気持ちの方が強いので、自分の主義主張を通すのは、当然、二の次となります。
そのため、「香典返しをするのは常識だ」という言説が、いつまでもまかり通るのでした。
しかし、少し思案をめぐらせていただきたいのですが、たとえば、3万円の香典を包む人は、
「この3万円を霊前に供えてほしい。葬儀でなにかと物入りな遺族に使ってほしい。」
と考えているのであって、少なくとも、
「3万円を包めば、1万5千円のカタログギフトが送られてくるだろうから、それで何を買おうか。」
などとは考えていないはずです。
自分の香典を故人のために使わず、ギフト屋の売り上げに回してほしいと望む人はいないのです。
結局、この香典返しという制度は、香典を包む人にとっても効用が半分であり、受け取る側にとっても効用が半分になり、なぜか故人とは無関係のギフト業界が潤うというシステムになっているのです。
上で私が「悪習」と決め付けたのは、そういうことです。
やめたくてもやめにくいようにできているのも、悪習の悪習たるゆえんです。
【まとめ】
今回は、葬儀にまつわるお金について書きました。
人の死に臨んで金の話をするのは、素朴な倫理観をお持ちの向きには「不謹慎だ」と思われるかもしれません。
ですが、現実問題として、それなりの葬式を執り行うには、それなりの出費が伴います。
また、逆に、金をかけずに故人の霊をなぐさめる方法も、今では用意されています。
全くお金がない場合でも、行政に連絡すれば、死者の尊厳を守る最低限のことはしてもらえます。
「親の遺体を放置し逮捕 長男(46)『葬儀の金がなかった』」
といった類の痛ましいニュースを時々目にしますが、金がなければないで、どうにかなるのです。
いずれの場合も、金の話は、人の死について回るのです。
一方で、葬儀に関するコストは、非常にざっくりとしたドンブリ勘定です。
通常の市価を基準に考えれば、ありとあらゆるものがボッタクリ価格です。
葬儀は結婚式と異なり、価格を比較検討するための時間的余裕がありません。
故人が亡くなったその日のうちに、100万円超の契約をするのです。
そこに内訳として、
「受付係:1人2万円×4(通夜・葬儀2名ずつ)」
と書かれていたとしても、
「むむ、1人2万円て、2時間も立ってないだろう。時給1万円以上か。弁護士だって、今日び、そんなに取らないぞ。」
などと価格交渉する余地はないのです。
それでも遺族は、故人の葬儀を無事に済ませようと、内心は「高いな」と思いながらも、予算の範囲内であれば「お願いします」とハンコをつくのです。
インターネットの価格比較サイトも普及し、何かを契約するにあたって価格の比較をしないことの方が珍しい今の時代において、ろくに比較する機会も与えられずに契約を迫られる葬儀というセレモニーは、「異常」なのです。
こんな商法が、いつまでもまかり通ると思っている業者は、早晩退場することになるでしょう。
また、若年層の貧困が急激に進む中、一億層中流の時代に行われた、「見栄」や「世間体」を考慮に含めたセレモニーは、もう維持できません。
この動きは、「地味婚」といった形で、すでに結婚式のスタイルには及んでいますが、自分の結婚式に20万円しか出さなかった若者が、親の葬式に100万、200万も出すだろうか、ということです。
以前のように、無条件に100万円!200万円!という時代ではないのです。
こうした世相を敏感に感じ取った業者は、葬儀料金の明確化を謳う戦略を打ち出しています。
ネットで葬儀代金について検索すれば、価格が明確であることをアピールした業者を、いくつも見つけることができます。
価格が明確であることがアピールポイントになるだなんて滑稽のきわみですが、いかにこの業界がおかしかったかということの他ならぬ証拠であるともいえるでしょう。
たとえば、有名どころでは、大手小売店のイオンなどは「イオンのお葬式」と称して、価格体系をオープンにしたことで、葬儀業界に一石を投じました。
もちろん、会社としてのイオンが直接葬儀を取り仕切るわけではなく、個別の葬儀業者がこの仕組みに乗っかり、イオンの提示した金額で、イオンの提示したメニューの葬儀を行うシステムです。
イオンと提携した葬儀業者としては、従来の「豪華な葬儀」一本での営業スタイルを貫いて潰れるよりは、たとえイオンに仲介料を抜かれても、薄利多売が期待できるシステムにすがった方がいいということなのでしょう。
私も今回父の葬儀を主催したことで、他社の葬儀に興味を持ち(笑)、「イオンのお葬式」の内容もよくよく研究しましたが、実際のところ、
「安くしようと思えば安くできるけど、色々やると、高くなるな。」
という、至極まっとうな結論に至りました。
特に注意すべきは、食事代や返礼品代のような変動費の部分は含まれておらず、また、僧侶に対するお布施なども除外した金額が掲載されているということですね。
多分、イオンを通して、今回私が主宰したような葬儀と同じものを開くと、多分同じような金額になると思います。
要するに「イオンのお葬式」というのは、イメージ戦略です。
我々消費者には、
「お葬式の値段は、不透明でわかりにくい。」
「なんかよくわからないけど、高いのではないか。ぼったくりなのではないか。」
という漠然としたイメージがあり、そこにイオンが現れて、
「明確化しました!」
「安心の固定価格!(※食事代、返礼品代、お布施代は含まず)」
と銘打って、実は従来とあまり変わらぬ価格だけれども明示をすることで、なんとなく安心できる気がする……といったところ。
イオンの主顧客層である、たとえば郊外に住む若い夫婦には、非常に訴求力のあるメッセージだと思います。
何しろ、葬儀のしきたりとか相場とかが分からなくても、いつも買い物に行ってるイオンにまかせれば、田舎の両親の件は安心なわけですから。
これについては、葬儀業者も痛し痒しのようで、イオンに商売を仕切られるのはおもしろくないものの、このままではジリ貧なのは分かっているため仕方なく……のようなことが、経済誌か何かに掲載されていたのを覚えています。
しかしこれは、イオンが悪いのではなく、消費者の足元を見ていいかげんな商売を続けてきた過去の葬儀業界が悪いのです。
イオンに安い値段で仕事を回されるようになってしまったのを嘆くより、業界を挙げて悪いイメージの払拭に尽力すべきだったし、今すぐにでもそうすべきだということです。
では、従来の葬儀業者は生き残るにはどうすればいいのでしょうか。
それは、月並みではありますが、「顧客満足」にあると思います。
葬儀業というのは完全にサービス業であり、それも感情労働に近いものがあります。
家族を亡くして間もないナーバスな遺族と接し、セレモニーは決して失敗できず、なにか間違いがあれば「我が家のメンツが潰れた!」「故人に謝れ!」などとボロクソに言われることも覚悟しなければならない、タフな仕事です。
一方、葬儀がつつがなく終わることで、遺族は気持ちの整理をつけ、スタッフに感謝の念を抱き、「次もお願いしよう」ということになります。
また、近所の人も会葬することから、「よい葬儀」を行うことが、一番のPRにもなります。
実際、父の葬儀は金がかかりましたが、その内容は良く、不当に高かったとは思っていません。
近所の人や、父の職場の人も、
「立派なお葬式だった。」
と口々に言うので、この葬儀の主眼であった「我が家の面目」は保たれたわけです。
もし誰かに、
「この前、お父様のお葬式をあげてもらった業者はどう?うちもお願いしようかと思うんだけど。」
と聞かれたならば、
「ああ、いいんじゃないですか。よくやってくれましたよ。なにより、無事に終わったし。」
と答えるでしょう。
遺族が満足できれば、それはきっと「良い葬儀」だったと言えるのだと思います。
個人的には「無難に、無事に、不満なく、つつがなく終わる」というのが一番大切だと思います。
以上、父の葬儀について書きました。
思わず長文になりましたが、思いもかけず急な葬儀を主催することになり、社会勉強になったというところが大きいです。
皆様もご両親が健在な方は、せいぜい今のうちに親孝行なさってください。
一方で、もしかしたら自分は喪主をするかも……?というような方は、ご両親が健在な今だからこそ、冗談交じりにでも「両親は自分の葬儀をどうしたいと思っているか」などの情報収集をしつつ、葬儀の相場を把握するなど、研究に努めてください。
親の死は、遅かれ早かれ、いつかは来るものです。
親の死を考えないことは、親孝行でも何でもありません。
しかしまあ、まさか新郎挨拶をする前に、喪主挨拶をすることになるとは思わなかった。(笑)
— 赤の7号
12/06/30(Sat)
◆(前回からの続き)
【お寺のこと】
さて、葬儀の日取りが決まったのですが、当家の菩提寺の住職には「事前に一度、お寺まで来てほしい」と言われたので、訪問しました。
電話一本で、
「○月×日に葬式やるから、来てお経あげて!」
「へい、まいどあり!」
ってなわけにはいかないんですね。まあ、そりゃそうか。
なお、菩提寺がない、または、近くにない場合は、葬儀業者の紹介により、お坊さんをお願いすることになると思います。
取り急ぎお寺の住職を訪問しまして、世間話交じりに今までの経緯をお話しします。
ここで確認したことは、
・お通夜当日は、お寺までお坊さんをお迎えする
・お布施の目安
・お通夜までに、戒名を決めておいてくれる
です。
最初の「お迎え」についてですが、お寺と斎場は離れているので、お坊さんには何らかの方法でお越しいただく必要があります。
こちら側の人間が車を飛ばしてお迎えするか、お坊さん自身で来てもらうか、どちらかになりますが、後者の場合、「お車代」なる名目で5千円とか1万円をお渡しするのが慣わしです。
ですので、もし可能であれば、親戚の人などに、お寺との往復をお願いした方がいいと思います。
(葬儀業者に依頼すれば、ハイヤーを出してもらうことも可能だと思いますが、おそらく数万円取られます)
次に、葬式関連の話題の中で必ず俎上にのぼる「お布施の額」について。
これについても、そのお寺とか地域の習慣によるところが大きく、しかも大前提として、
「お布施は気持ちの表れであり、金額や相場は明示できない。」
という建前があるため、一体いくらを払えば妥当なのか、我々にはよくわからないところがあります。
しかたがないので、住職に直接、
「なにぶんにも初めてで、よくわからないので教えてください」
と伺ったところ、「本当はそういうものではないのですが」という前置きがありつつも、
「だいたいの檀家さんは50万円とか70万円をお包みになります」
という「ほのめかし」があったので、ああ、要するにそのくらいってことねと了解。
最後の「戒名」についてですが、これはしばしば、お布施の話題とセットで生々しい話に発展します。
曰く、
「いろいろケチったら、短い戒名になった!」
「○○院殿××大居士が欲しくて戒名料を奮発!」
などなど。
一般に言われる「戒名」には、「階級」や「クラス」を表す称号を含みます。そのクラスは菩提寺への貢献や帰依の度合いで決まることから、ひいてはお布施の額で決まる……あるいは、決まるのではないか?という疑心暗鬼につながるシステムになっています。
壮健頑強な我々にしてみれば、金を払って死後の偉そうなクラスをもらうなど、鼻で笑いたくなるような滑稽事ですが、死を迎えた本人や、家族などは、
「せめて戒名くらいは立派なものを!」
と必死になるのも、哀れな人間の情というものでありましょう。
(そんな俗世の見栄にとらわれている人が、立派な戒名を付けられるというのも、どうかと思いますが)
もっとも、これは戒名を付ける側であるお寺のスタイル、住職のスタイルにもより、別段信心深くなかった故人には、基本的に「信士」を与え、「居士」だの「大居士」だのは乱発しないところもあるみたいです。
もっとも、私がお寺を訪問した時点では、まだお布施をお渡ししておらず、今回は「戒名をもらってから、お布施をおさめる」という順番になるため、上記の問題は発生しえないのですが、そこは菩提寺との信頼関係なのでありましょうか。
こちらとしても、あまりにご大層な戒名を付けられたからといって、別段お布施を増やそうという気にはあまりならないのですけど。
ただ、お寺の名誉のために申し上げれば、そのお寺の住職は、いわゆる生臭坊主とは趣が異なる、どこか哲学者のような雰囲気をお持ちの、「これはなかなか徳があるな」と思わせるお坊さんでした。
(お布施の額も、それほど高くないそうです。他は知らんけど(笑))
お布施と戒名については、色々と泥臭くて面白いので、興味がある方は調べてみるといいと思います。
まあ、個人的な感想としては、こうした不透明な料金体系を含む習慣は、現代人の感覚に合わない(「暗黙の了解」や「常識」がもはや全員に共有化されないし)ので、一部の葬儀業者がお布施を明示しているように、これら不透明な習慣を明確にしなければ、「仏教離れ」「葬式離れ」とあいまって、この先生きのこるのは難しくなるのではないかと思います。
【町内会への連絡と、怪しい電話】
その後、町内会の会長さん宅を訪れ、父の死去と葬儀の日取りを連絡しました。
しばらく後に、町内の掲示板に訃報が貼り出され、それを見た近所の人が駆けつけたり、電話をしてきたりと、若干忙しくなります。
そんな中、一本の電話がかかって参りました。
「もしもし、配送センターですが、お供物が届いてますが、住所は○○、お名前は××様でよろしいですかー」
というもの。
そんな荷物、黙って届けてくればいいのに、なぜいちいち電話でこちらの住所や名前を確認するのか、不明です。それに「配送センター」ってなんだ。
だいたい、いきなりお供物が送られてくるというのも、なんかちょっとよく分からない。
お香典ならともかく、今時、相手先に突然、メロンや缶詰ギフトなんか送る人がいるだろうか。
そのお供物とやらは、一体誰から送られてきたものなのか問うたところ、
「えー、昭和商事さんですねー」
とのこと。
少なくとも、父の仕事の関係で聞いたことがある名前ではありませんでした。
もっとも、父の仕事の関連先を、私がすべて把握しているわけでもないので、何とも言えませんが。
ところが、その日も、次の日も、「配送センターからのお供物」とやらは、配達されませんでした。
自宅じゃなければ斎場に届いているのかと思いきや、こちらも届いておらず。
これは怪しい。
どうも、調べたところによると、「葬式の家狙いの空き巣」が、あったりするそうです。
町内会の掲示板の訃報には、住所、名前、電話番号が記載されていますから、空き巣をたくらむ不心得者にとっては狙いやすいターゲットとなります。
なにしろ、お通夜の最中や、その夜、翌日の葬儀にかけて、その家はずっと留守になっている可能性が高いのですから。
「あの電話は、もしかしたら、本当にこの家かどうか、確認の電話だったのかも?」
そうなると気持ち悪くて仕方ありません。
とりあえずお通夜に向かう前に家の戸締りは徹底し、念のため居間の明かりやテレビをつけっぱなしにして、「家の中に誰か残っている様子」をアピールしました。
また、通常、お通夜は斎場に寝泊りし、遺体のそばにいるのが通例のようですが、私は自宅に戻り、そこで寝泊りすることにしました。
幸い、この間に自宅を荒らされた形跡はありませんでしたが、葬儀前後のドサクサに、ともすれば防犯意識は薄くなってしまうもの。
こういう時にこその空き巣対策は、大変留意すべき事項だと思いました。
(多分、もう一回くらい続きます)
— 赤の7号
12/06/26(Tue)
◆実は先日、父が亡くなりまして、とても忙しい日々を送っておりました。
父は昨年退職したばかりでしたが、長年吸い続けたタバコによる(と思われる)肺がんには勝てず……
一方で、タバコを通じて会社の人と仲良くなったり、楽しい時間を過ごしたりして、結果、偉くなったのだと思えば、ある種の「幸せの前借り」とも言うべきものであったのだろうとも思います。
タバコを吸わなきゃ死なないわけでもないですしね。
とはいえ、俗世に残された私たち家族にはやるべきことが多々あり、その中でなかなかに得がたい経験を積むことができたと思います。
いずれまた役に立つ時もあろうかと思うので、記憶と考え方の整理をかねて、つらつらと記載します。
なお、記載の前提としているのは、仏式の葬儀です。
【喪主】
今回、喪主は私でした。
場合によっては故人の妻(つまり、私の母)がやる場合もあろうかと思いますが、我が家の文化圏では長男がやるべきだという空気があったので、私がやることになりました。
喪主、といっても、一般に葬儀の実務的な運営は葬儀業者が代行するものですが、儀式としての葬儀は喪主が取りしきることになります。
したがって、葬儀業者や宗教者との打ち合わせを行い、提示された方針にゴーサインを出すのは、喪主の仕事です。
また、葬儀に参列してくれた人や宗教者に対して礼を尽くすのも、これまた喪主の仕事になります。
葬儀の場で最初に焼香をし、出棺の際には位牌を持ち、帰りにお骨を持つのも、喪主です。
葬儀の主催者ですから、お通夜や葬儀が終わった後、皆の前で挨拶をする必要もあると思います。
自然、葬儀の内外一切のスケジュールにも気を配る必要が出てくるので、非常に大変な仕事になります。
「喪主は故人の妻だが、夫の死に為すところを知らず……」
というような状態の場合、実際の切り盛りは他の人がやるのかもしれませんが、私のようにいい歳こいた男性がマゴついているようでは、周囲の失笑を買うだけなので、
「この葬儀は、俺が預かった!」
くらいの気持ちでいるのがちょうどいいと思います。
当然、すべての決定事項を記憶にとどめるわけにはいかないので、どんなに些細なことでもメモに残し、忘れないうちに整理する作業の繰り返しです。
私の場合、1週間たらずで、ノートを1冊使いました。
【死去直後の動き】
病院にて父を看取った直後に行ったのは、各方面への連絡ですが、中でも一番重要なのは、葬儀業者への連絡です。
我が家では、すでにつながりのある葬儀業者があったので、そこに一報を入れました。
こうした葬儀業者の心当たりがない場合は、病院が斡旋する業者を頼るか、適当に調べて連絡をすることになります。ですが、いつまでも病院に遺体を置きっぱなしにするわけにはいかないので、決定までの時間は非常に限られています。
現実問題として、特に決まった業者にアテがない場合、病院の斡旋する業者にお願いせざるを得ない雰囲気になるんじゃないかと思います。
したがって、
「いや、十分に調べて、自分が納得した業者にお願いしたい!」
という人は、事前に目星を付けるなり、見積もりを取っておくなりしておくのがよろしいかと思います。
葬儀業者に一報を入れさえすれば、葬儀一式は自動的に進んでいきます。
他にも連絡した先は、
・自分の勤務先(=忌引の申請)
・父の元勤務先の総務(=旧知の人への周知依頼や、福利厚生関係)
・親戚、知人
といったところです。
ただし、この時点では葬儀の日程などは一切決まっていませんので、「父が亡くなりました」という速報程度の話しかできません。
また、親しい親戚については、家に来訪してもらえるのなら、来訪してもらった方がいいと思います。人手はあった方がいいです。
その後は病院の霊安室に移動し、医師らの焼香を受けました。
やがて、葬儀業者の車両(寝台車というらしい)が到着し、遺体は自宅へと搬送されました。
なお、自宅への搬送が困難な場合は、そのまま葬儀を行う斎場へと搬送することもあるようです。
※医師らの焼香は非常に丁寧で、好感が持てるものでした。おそらく、こうした振る舞いが、後日の裁判リスクを抑制する効果もあるのだと思います。ここでぞんざいな扱いを受けたなら、遺族は「病院の対応が悪かったから死んだんだ!」と思うかもしれません。しかるべき礼節を示すことで、遺族も満足し、病院もリスク低減ができるという好例。
帰宅すると、葬儀業者の人が待ち構えています。
部屋に搬入した遺体は、ドライアイスとともに布団に寝かせて、安置されます。
冬場以外は、部屋の冷房を常時全開です。
その後、葬儀業者のコーディネータと、葬儀の手はずを決めます。
日取りはどうするか、祭壇はどうするか、何人くらいくる見込みなのか、僧侶はどうするか、当日参列した人に対するお礼はどうするか、通夜の後に振る舞う料理はどうするか、火葬の後に食べる料理はどうするか……
何とも慌しいことに、父が亡くなったその日のうちに、葬儀一式の契約をするのです。
日取りについても、
・斎場の空きがあるか
・僧侶の予定に空きがあるか
・六曜の「友引」が絡まないか
といった懸案事項があります。
特に「友引」はクセモノで、「友引」は休業とする火葬場が多いため、日取りに影響が出ます。
具体的には、「友引」の前日をお通夜にするような日取りが組めないということです。
(最近では「友引」でも休まない火葬場もあるようです)
この辺のことを、業者と決めていきます。
ひととおり決めて、契約をすませると、あとはおまかせでも葬儀は最後まで進みます。
多少イレギュラーなことがあっても、まともな業者であれば、臨機応変に対応してもらえるはずです。
ですので、安心してお通夜当日を待てばよろしいかと思います。
……といっても、この間にも、各方面から電話がかかってきたり、ただならぬ雰囲気を察した近所の人の訪問を受けたりして、一息つく間もありません。
とにかく体力勝負の数日間になるので、栄養のあるものを食べて、さっさと寝るのが肝要だと思います。
(この項、続きます)
— 赤の7号





